生成AIの登場で、「考える」という行為の境界が曖昧になった。
企画も文章も、AIが出してくれる。ならば人は、何をするのか。
私が感じているのは、「考える」ことの本質は“結論”ではなく“問い”にあるということだ。
AIは過去の答えを最適化して提示できるが、「なぜそれが必要か」「この選択が何をもたらすか」という問いは、いまだ人間の領域にある。
1. 「考える」ことの定義が変わりつつある
これまでの“考える”は、「より良い答えを導く」こととほぼ同義だった。
しかしAIが、数秒で最適解を返すようになった今、私たちは“考える”とは何かを改めて定義する必要がある。
AIは、論理を模倣するのが得意だ。
だが、矛盾を受け入れたり、感情の揺らぎを踏まえて選択するのは苦手だ。
むしろ人間は、曖昧さの中で「まだ分からない」と留まる力を磨くべきなのかもしれない。
2. AI時代に必要なのは「問いの質」
AIが出す答えを使いこなせる人と、振り回される人の差は、問いの立て方にある。
「どうやって」ではなく「なぜ」「どこまで」「どの順番で」を問える人。
問いの設計が変われば、チームの議論の深さも変わる。
私は、要件定義の議論でも“仕様”ではなく“仮説”から入るようにしている。
「この要件が叶えたい背景は何か?」を一度立ち止まって問う。
それだけで、AIに生成を頼む場面でも、出力の精度が格段に上がる。
3. 判断の背景を共有する文化をどうつくるか
AIが「結果」を出すなら、人は「理由」を語るべきだ。
「なぜこの道を選んだのか」「どんな制約を前提にしているのか」。
判断の背景をチームで共有することで、AIがいなくても同じ判断を再現できるようになる。
AIが考えるほど、人は「考えの背景」を残す力を問われる。
その力こそが、意思決定の透明性を高め、チームの信頼を築く。
“考える”を奪われる時代だからこそ、
私たちは“考えを語る”力を磨いていくのだと思う。